毎日書く事、毎日見る事。
此間、親友とメッセで話していて出てきた話を拡げてみる。
なんとなくブログの話に流れたとき、僕に対してその友人は
『毎日更新しているのがスゴイ』みたいな事を言ってくれた。
でも肝心の僕の内心はといえば『それってスゴイのか?』と。
スゴイんだとか偉業なんだとか言う自覚は、ハッキリ言ってない。
(いや、そんな自覚、あったらあったでちょっと気持ち悪いか。)
でもこの意識の違いは一体何処から来るんだろうかと気になった。
で、少し考えてみたところ思い当たる事二つ。
- その友人は“毎日書く事”に失敗した例が過去にある。
- 僕は“毎日書く事”が毎日の習慣の一つとなっている。
在り来たりすぎる気もするけど、どうもこれでしっくり来る。
友人は『よく毎日書くネタがあるね』とも言っていたが、
これまた自身に自覚は無い。何故なら毎日の習慣になっているから。
習慣の一部になってしまえば、良く言う体が勝手に動く様なものだ。
ネタに関しても『今日はどうしよう、何を書こう』と深く考えない。
毎日書く事が習慣になっていると、自然と物の見方にも変化が出て、
習慣が無ければ気付かない様な視点からも、物を見ることが出来る。
…具体例を挙げたいけども、上手い例が見当たらないのでご勘弁を。
とまぁそんな訳で、毎日書く事に関しては特に気にしていない。
というか、書いている側の僕からしてみればむしろ
『毎日更新される様を、毎日見ているのがスゴイ』と思う。
逆…なのだ。これもこれで、見る側は自覚してないのかもしれない。
それでも僕が毎日書いている物を毎日見ている方々がスゴイと思う。
毎日ずらずらと追加される文章を逃す事無くチェックしている訳で。
数ある情報から自分の気に入った箇所だけに厳選しチェックすれば、
わけないのだろうか。にしたってスゴイと思う。なんかもう、純粋に。
やっぱり書く側からしたら、読んでもらえる事ってのは嬉しい事で。
ましてそれを毎日読んでくれているなんて言ったら、頭が上がらない。
以下は僕の偏見でしかないのだけど…とある記事にブクマ付いたり
ニュースサイトに採り上げられたりした際の話。その先から辿ってきた
方々ってのは、その記事しか読まないで去っていくものだと思っている。
「あれが今、話題の」「へぇ、どれどれ」とドカドカ押し寄せてきて、
みるだけみて満足したらズカズカ帰って行く、稀に見る観光旅行か何か
団体御一行様が観光地踏み荒らして帰る光景みたいな。…偏見だけども。
そういう風に、一時的に不特定多数に注目される事も有り難いのだけど、
毎日見られる事の方がもっともっと有り難い。当たり前かもしれないが。
たとえ少数派でも良い。毎日見てくれる方々が居る状態の方が好ましい。
…と感じる今日この頃。そりゃ毎日内容の濃い記事を書ける訳ではない、
毎日見てください!って言う方がおバカに決まっている。ふざけるなと。
実際、毎日内容の濃い記事書くなんて事、無理だしorz ………けど、
こう書いていたら、最終的に行き着きたい処がなんとなく出てきたかな。
ところで昨日24日の時間差攻撃は何だったんだろう。17日の記事って…。
ああ関係ない方向へ行くのは良くないな。結局何が言いたかったのって、
いつも読んでくれてありがとうございます。
スゴイのは読んでいるそこの貴方の方です。